維新の道を行く
(2)
新の志士、坂本龍馬について考えます。
坂本龍馬の脱藩については、文久2(1862)年春、土佐藩を脱藩して伊予から長州に渡ったと言う事が通説になっています。
生誕地
高知市上町1丁目にある龍馬生誕地の碑です。現在は電車通りに面した病院の敷地内にあります。当時は侍屋敷に近い町屋で、質屋や酒造業を営み、その後、呉服商、絹繭取扱い、髪付油の製造と幅広く事業を発展させていたそうです。
碑の前に竜馬の胸像を載せた電話ボックスがありました。
墓所
坂本家墓所は高知市山手町にあります。第1墓所には八平直海(曾祖父)、八蔵直澄(祖父)、直寛の妻の墓があります。第2墓所には八平直足(父)、幸(母)、権平直方(兄)、栄(姉)、乙女(姉)の墓があります。
新たに発見されたお栄の墓石が、少し下にありました。墓石脇には「弘化●(←削り取られていて判読できない)年」と書かれていました。通説では竜馬の脱藩の際に、家宝の刀を与えた事で、自宅で自刃し密葬された様に言われています。しかし没年が「弘化」(1844〜1847)だと「文久」(1861〜1863)の前で時代があいません。??? それと、才谷屋や親戚の高松家、山本家、岡本家が竜馬の脱藩で、藩から咎められたという事もないようです。こちらも不思議です。
才谷
南国市才谷(さいたに)の竜馬生塋地です。坂本家の先祖、坂本太郎五郎は長宗我部氏時代、この地で1町余りを耕作する農民でした。太郎五郎から3代目、太郎佐衛門の次男八兵衛が寛文6(1666)年高知城下に移り「才谷屋」を開業しました。
今は「才谷村竜馬公園」が現地に作られ、丁度、才谷村竜馬祭でカラオケ大会が開かれていました。
坂本家は明智光秀の子孫と言う話があります。太郎五郎は光秀の子、左馬助の変名ではないかという説で、山城の国の出と伝えられていて、桔梗の家紋も一緒です。
近江坂本城(滋賀県)の落城の際に、城を脱出し才谷郷の大浜の地に住み着いたというものです。太郎五郎の子、彦三郎は須藤加賀守の次女を妻に迎えています。身分意識の強い時代に由緒ある人を迎えている。また、1町余りの広大な領地を持てた所持金の多さも理由の様です。
和霊神社
高知市神田(こうだ)(吉野)にある和霊神社は、才谷屋三代目「八郎兵衛直益」が宝暦12(1762)年に、伊予宇和島から分霊勧請してできた屋敷神で、竜馬が脱藩の直前、3月24日に「吉野に花見に行ってくるぜよ」と言って出掛け、この地で祖霊に祈り、水杯をして旅だったと言われています。
神社は才谷屋のあった上町1丁目から約3.5kmの距離にあります。脱藩で故郷に帰れない状況となる訳で、墓所には行かず、本家の屋敷神に詣でると言うのも少し不思議ではあります。
もう一つ、3月24日は旧暦で、新暦では4月下旬にあたり、高知での桜の時期とは遅すぎる感じもあります。
脱藩ルート
この後、
伊野 |
高知県いの町 |
佐川 |
高知県佐川町 |
斗賀野 |
高知県佐川町斗賀野 |
川ノ内 |
高知県佐川町川ノ内 |
朽木峠 |
高知県佐川町津野町境 |
西谷 |
高知県津野町西谷 |
姫野々 |
高知県津野町姫野々 |
永野 |
高知県津野町永野 |
大野 |
高知県津野町大野 |
布施坂峠 |
高知県津野町布施坂峠 |
東津野 |
高知県津野町舟戸 |
新田 |
高知県津野町新田 |
野越峠 |
高知県津野町梼原町境 |
神在居 |
高知県梼原町神在居 |
太郎川 |
高知県梼原町太郎川 |
梼原 |
高知県梼原町梼原 |
大越峠 |
高知県梼原町大越峠 |
宮野々関所 |
高知県梼原町宮野々 |
四満川 |
高知県梼原町四万川 |
韮ケ峠 |
高知愛媛県境 3/26 那須信吾がここから引き返した |
小屋番所 |
愛媛県西予市野村町小屋 |
榎ケ峠 |
愛媛県西予市野村町大洲市河辺町境 |
横通り |
愛媛県大洲市河辺町横通 |
封事ケ峠 |
愛媛県大洲市封事ケ峠 |
三杯谷 |
愛媛県大洲市三杯谷 |
日除 |
愛媛県大洲市日除 |
水ケ峠 |
愛媛県大洲市水ケ峠 |
泉ケ峠 |
愛媛県大洲市内子町境 那須俊平と共に泊った |
北表村 |
愛媛県内子町北表 3/27 |
宿間 |
愛媛県内子町宿間 那須俊平がここから引き返した |
大洲城下 |
愛媛県大洲市 |
長浜 金兵衛邸 |
愛媛県大洲市長浜町 |
三田尻 |
山口県防府市 |
下関 |
山口県下関市 |
のルートをたどったと言われます。
このうち愛媛県内のルートは、高松小埜の残したと言う書付けに拠っています。しかし書付けはコピーですし、信憑性がありません。また宇和島には「才谷屋さんが来ていた」と伝えられていたり、土居通夫(後の大阪商工会議所会頭)が坂本龍馬に会ったと言う話が残っています。鬼北町下鍵山には、竜馬が泊まったと言う旅籠(現存しない,河野保吉郎氏曾祖父経営)があります。
脱藩の際に祈ったと言う和霊神社は宇和島に元社がありますし、さて、脱藩のルートはいずこに。