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宇和島地域は、近くは明治維新の際に全国に名を知られた地域で、文明開化により近代建築も多く建てられていました。しかし、現在、残っている建物は少なくなりました。
明治初期、文明開化の中で地元の工匠たちが懸命に努力した擬洋風建築で、玄関ポーチ、ペディメント、窓、トラス組などに特徴があります。国の登録文化財に指定されています。
木造2階建、外壁漆喰塗りの洋館は門の赤い煉瓦と松の緑に映えて、白がひときわ美しく、街を行く人も足をとどめる優雅な建物です。擬洋風建築の様式で、軒廻りの蛇腹は木摺下地に美しい漆喰で仕上げられ、1階ポーチと2階テラスは、独特の雰囲気をかもすのに効果のあったアーチを採用し、1階柱は角、2階柱は丸柱と、当時、世はまさに文明開化の時代ですよ、と呼び掛ける風であったで違いありません。1階は医院として建てられたため、壁、天井とも漆喰塗、2階は和室の住宅で竿縁天井、外からみた洋風の感じとは全く別の感じです。 小屋組はトラス(洋式小屋)組みですが、隅合掌あたりに和小屋の名残りをとどめ、棟梁の苦心の跡が見られます。小屋材も製材品はなく、ソマかハツリ仕上げの角材である。窓は上げ下げ、分銅が左右の枠に隠されたバランスウェイト方式です。 この建物は明治40年(1907)、日露戦争に軍医として従軍した樋口虎若氏によって医院として建てられたものですが、樋口氏は大正15年(1926)今の京町に住宅を新築移転、その後、土門医院、正光会事務所と変わり現在に到っています。(前田廣士先生)
建物は、1階 88m2 、2階 54m2 、計 142m2 である。 当時の請負金額 8,200円 外壁は、真壁モルタル掻き落し。屋根は半切妻(地方の人は文化屋根とも呼んでいる)セメント瓦葺。玄関廻りの感じが良い。 設計者は、市内三浦出身の西村正秀氏、彼は大分工業専門学校卒業後、大連に渡り、大正末帰国し、この建物を設計した。時に25歳であった。(前田廣士先生) その他、最近まで存立していた建物です。 1992年8月、宇和島市立歴史資料館のビデオ制作とともに、地域の近代建築の写真展を行いました。 | ||||||||||
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written by -konomi-