Home
宇和島アラカルト

Site 文 化 財 Site

Exhort 項目をクリックして下さい。

Section 国指定文化財
Site 建造物
Site 絵 画
Site 無形民俗文化財
Site 史 跡
Site 名 勝
Site 天然記念物
Site 登録有形文化財
Section 県指定文化財
Site 建造物
Site 絵 画
Site 彫 刻
Site 工 芸
Site 書 籍
Site 民俗文化財
Site 無形民俗文化財
Site 史 跡
Site 天然記念物

Site 国指定文化財 Site


建 造 物

Exhort 宇和島城天守 Explanation

宇和島城天守
宇和島市丸之内

宇和島城に正式の天守閣ができたのは藤堂高虎の築城(1601)の頃と言われます。伊達氏の改修(1661-1672)により、独立式三重三階、白壁の総塗込め造りで、土台から天守まで、15.8mであります。外観は正面初層は唐破風、二層は千鳥破風、最上層は大きな唐破風と変化がある美しい安定感があり、式台のある玄関、建物と石垣の間に余地があったり、内部に長押や建具があり武備を離れて領主の威容示す事に重点があった江戸初期の特徴があります。

Exhort 善光寺薬師堂 Explanation

善光寺薬師堂
鬼北町小松

北宇和郡鬼北町

医王山善光寺の境内にあり、室町期の禅宗様式の特徴を備えた、四国では最南端に位置する貴重な建築物です。

目次へ

絵 画

Exhort 絹本著色豊臣秀吉像 Explanation

絹本著色豊臣秀吉像
宇和島伊達文化保存会

豊臣秀吉公の肖像画で大幅で荘厳を極めたものとして有名。秀吉の死後、側近の富田知信が狩野派の画家に描かせたものとされ、金剛山大龍寺に伝わっています。

目次へ

無形民俗文化財


Exhort 伊予神楽 Explanation

伊予神楽
宇和島市・北宇和郡

鎌倉時代から伝承されているもので、35場からなり勇ましい太鼓や笛の音に合わせて足取り、身振りもおもしろく、魅了されます。

目次へ

史 跡


Exhort 宇和島城 Explanation

宇和島城
宇和島市丸之内

初めて城ができた年代ははっきりしませんが、戦国時代の天文寛文年間には、板島丸串城と呼ばれていました。天正3(1575)年西園寺宣久の居城となり、天正15(1585)年、小早川隆景、後に持田右京、戸田勝隆の領地となり、戸田与佐衛門が城代として入城しました。文禄4(1595)年、藤堂高虎が領主となり、本格的に築城工事を始め、6年をかけて完成しました。平山城の形式で、平面が5角形をし、2面が海に、3辺は城堀を隔てて、城下町に接していました。慶長19年、伊達氏の入城後、明治維新まで伊達氏の居城となりました。天守閣が現存する全国にある12城の1つで他、曲輪跡、城塁、石垣もほとんど完全に保存されています。

Exhort 河後森城跡 Explanation

河後森城跡
松野町松丸

鎌倉時代から江戸時代初期までの約400年余りに渡って、この地域の領主だった河原淵氏などの城跡です。発掘調査で、当時の城や屋敷跡、堀の遺構が確認され、15〜16世紀を中心にした備前焼や中国の青磁・白磁が出土しています。天守閣は後に宇和島城の月見櫓として移築されたという言い伝えがあります。

目次へ

名 勝


Exhort 天赦園 Explanation

天赦園
宇和島市天赦公園

宇和島城の西南にあり、第七代藩主宗紀(むねただ)公が、慶応二年(1866)年に完成しました。名前の謂れは伊達政宗(まさむね)公の詩から取ったもので、徳川末期の大名池水回遊式庭園の代表作とされます。庭園の広い池を地割りの主体として、岬、入江、曲浦等屈曲が多い渚に囲まれ、砂岩の海石を用いた石組み、黒松、楠、うばめがし等の常緑樹で外部を、また、伊達家にちなみ、竹と藤の種類が多く独特の風景を作り出しています。

目次へ

天 然 記 念 物

Exhort 八幡神社のいぶき Explanation

八幡神社のいぶき
宇和島市伊吹町

源義経ゆかりと言われ、樹齢約800年で、目通り5m、高さ21m、枝張り76m2と日本の代表的巨木です。

目次へ

登録文化財

Exhort 宇和島市立歴史資料館 Explanation

宇和島歴史資料館
宇和島市住吉町

明治17(1884)年宇和島市広小路に建てられたもので、昭和27(1952)年から平成2(1990)年の間は移築され、西海町庁舎として使われました。
明治初期、文明開化の中で地元の工匠たちが懸命に努力した擬洋風建築で、玄関ポーチ、ペディメント、窓、トラス組などに特徴があります。現在は宇和島地方の歴史資料が集められ展示されています。

目次へ

Site 県指定文化財 Site


建 造 物

Exhort 禅蔵寺薬師堂 Explanation

禅蔵寺薬師堂
禅蔵寺(宇和島市津島町上畑地)

禅蔵寺本堂の南側にあり、間口5.61m奥行5.62mの方形造り、かや葺きで、室町末期の様式を残して江戸中期に再建されたものと伝えられています。外部は伝統的民家様式で、内部は唐様で、特に花頭窓や板張りに特徴があります。

目次へ

絵 画

Exhort 富田知信画像、富田信高画像   金剛山大隆寺(宇和島市宇和津町)

市街東部にある伊達家の菩提寺、金剛山大隆寺に伝わる武将父子の画像です。いにしえの歴史のおもかげを今に伝えています。

目次へ

彫 刻


Exhort 薬師如来立像 Explanation

薬師如来立像
宇和島市薬師谷

宇和島市街の南郊の薬師谷渓谷にあった、東光寺の本尊であり、また谷の上にそびえる権現山の祭神、山高権現の本地仏でした。東光寺は明治6年廃寺となり、地元に秘仏として伝わっています。昭和40(1965)年、毛利久博士の鑑定により、平安時代後期藤原時代の作とされ、像高150cm、けやきの一木づくりで、保存状態も良好です。

Exhort 舞楽面  八幡神社(宇和島市伊吹町)

 八幡神社に伝わる鎌倉時代の舞楽の面です。

Exhort 木造大日如来坐像 Explanation

木造大日如来坐像
仏木寺(宇和島市三間町)

鎌倉期の作とみられていて、寄木づくりで裳の折り返しの部分から、中国の宋からの影響がうかがえます。光背板は6枚の縦板で二重円光が彩色されています。

Exhort 木造弘法大師坐像 Explanation

木造弘法大師坐像
仏木寺(宇和島市三間町)

正面向きに端座し、円頂、身に僧衣をまとい袈裟(けさ)をかけ、左手に念珠、右手に五鈷杵を持っています。寄木づくりで座高87.5cm、彫風は素朴で地方色が濃いとされています。

Exhort 木造観世音菩薩坐像 Explanation

木造観世音菩薩坐像
満願寺(宇和島市津島町)

平安末期の作とされ、一木造り、高さ90cmの座像です。

Exhort 木造薬師如来坐像 Explanation

木造薬師如来坐像
満願寺(宇和島市津島町)

高さ102.5cmの座像で、保存状態も良好です。一畑薬師(島根)、山田薬師(宇和町)とともに、行基(作家:ぎょうき)菩薩作の一木一体一刀三礼の「三大薬師」と言われていますが、後の鑑定で、平安時代藤原期の作と言うのが定説になっています。

Exhort 木造童形御神像 Explanation

木造童形御神像
高田八幡神社(宇和島市津島町)

カヤ材一木造りで、高さ101.5cmで、鎌倉期の作とも言われています。みずらに結った髪、広い額で頬が張り、童形ながら威厳のあるお姿です。全国的にも珍しい形です。


目次へ

工 芸

Exhort 食 篭 Explanation

食篭
大信寺(宇和島市吉田町)

食籠は食物を盛る漆器で、今の重箱にあたります。この食籠は3重になっており、高さ23cm、直径13cmで、室町末期から桃山期にかけて流行した高台寺蒔絵の手法で藤房がいっぱいあしらってあります。上下の縁取りに南蛮風の唐草模様があり、宇和島伊達家から寄進されたと言う伝承があります。

Exhort 瓶 子 Explanation

瓶子
 高田八幡神社(宇和島市津島町)

目次へ

書 籍

Exhort 高田八幡文書 Explanation

高田八幡文書
高田八幡神社(宇和島市津島町)

徳治2(1307)年、最初に「津島」の名前が現れるなど、郷土の歴史を知る貴重な史料です。

目次へ

民 族 文 化 財

Exhort 鬼北文楽人形頭、衣装一式 Explanation

鬼北文楽
「天狗久」らの銘があり、保存会による淡路人形浄瑠璃の公演が行われています。

目次へ

無 形

Exhort いさ踊り  宇和島市津の浦自治会

 津の浦は宇和海きっての難所で、冬場難破する船が多く、村人は亡魂妖怪に悩まされていたそうです。その亡霊を慰め、盆踊りをした所、妖怪がでなくなったとされ、宗教的意識の強い敬虔な踊りで、毎年8月15日に行われています。


Exhort 花踊り Explanation

花踊り
曽根花踊り保存会(宇和島市三間町)

天正年間から約400年以上守り継がれています。毎年9月1日、真剣をかざした少年たちによって勇壮に舞われます。

Exhort 清水の五ツ鹿踊り Explanation

清水の五ツ鹿踊り
鬼北町清水五ツ鹿踊り保存会

鹿踊りは獅子舞の一種で、農耕以前の狩猟時代に豊猟を祈願した祭祈行事から発展したものとされています。東北地方の獅子踊りが伝わったものという説もあります。構成は、鹿が裏山からおりて遊んでいるうちに、いつの間にか一頭の雌鹿が行方不明になり、残った四頭の雄鹿が探して、最後に芝の中にいるのを見つけ、お互い喜び合うと言うストーリーで、笛と太鼓に合わせて踊ります。


目次へ


史 跡

Exhort 伊達秀宗の墓 Explanation

伊達秀宗の墓
宇和島市宇和津町

伊達家は鎌倉時代より伝わり、陸奥国伊達郡(今の福島県)を中心に、南北朝・室町時代を通じて勢力を拡張した豪族でした。伊達政宗(だてまさむね)公の時代に米沢から仙台を居城として東北第一の大名となりました。伊達秀宗公は父、政宗の長子として天正(1591)年に生まれ、4才の時に豊臣秀吉の人質となり、慶長元(1595)年、秀吉の養子格として元服し"秀"の一字をもらい"秀宗"(ひでむね)となのりました。秀吉の死後、関ケ原の戦い以後は、徳川の人質となり慶長14(1609)年井伊直政の娘、亀を夫人としました。慶長19年(1614)年、宇和郡十万石に封ぜられて翌、元和元(1615)年入国しました。

Exhort 伊達宗城および夫人の墓 Explanation

伊達宗城および夫人の墓
宇和島市野川

 伊達宗城(1818-92:だて・むねなり)公は、幕末期の宇和島藩主です。藩政改革を積極的に推進し、安政年間まで殖産興業、文武教育の振興、富国強兵と洋式兵学の導入を進めました。弘化2(1845)年から大砲を鋳造し、高野長英をかくまい、村田蔵六を招いて、蒸気軍艦を建造しました。また徳川斉昭や松平慶永と親密に交流し、一橋慶喜擁立派の一員として活動し、ペリー来航時は攘夷派でしたが、のち薩摩藩の島津久光と接近して、一貫して公武合体、長州藩と幕府との和解を推進しました。

 王政復古後、維新政府の議定となり、明治2(1869)年9月には民部卿兼大蔵卿となって、鉄道敷設のためのイギリス借款に尽力しました。明治4(1871)年7月には全権として天津で日清修好条規に調印しました。のちに政界を退きました。明治25(1892)年没。75歳。維新後の活躍もめざましいものがあります。

Exhort 岩谷縄文遺跡 Explanation

岩谷縄文遺跡
鬼北町岩谷

昭和31(1956)年に、大量の縄文式土器と大分県姫島産の黒曜石が、鬼北町岩谷から発見されました。後に土器、石器や祭礼の配石遺構やたき火の跡も確認され、当時の様子を伝える貴重な遺跡です。

目次へ

天 然 記 念 物

Exhort ハマユウ Explanation

ハマユウ
日振島(宇和島市)

宇和島から22kmの沖の島に自生しています。7月上旬から9月下旬に純白で芳香の高い美しい花をつけけます。宇和海中学校の生徒達が献身的な保護、補植活動に努力しています。

Exhort イトザクラとエドヒガンざくら Explanation

イトザクラとエドヒガンざくら
大本神社(鬼北町)

伊達秀宗公ゆかりと言われ、宇和島・吉田両藩主の観桜の宴が開かれていたと伝えられています。若木の育成に神社では苦心されています。

Exhort 蔵王神社のいちいがし Explanation

蔵王神社のいちいがし
蔵王神社(松野町)

境内にあり、夫婦木とも呼ばれ、大きい方は根周り7m、高さ20mもあります。

Exhort 逆杖のイチョウ Explanation

逆杖のイチョウ
妙楽寺(松野町)

根周り12m、高さ30mに達する老大樹で、地上近くから5本の枝に分かれています。弘法大師が立てた杖が芽吹いてこの樹になったと言う言い伝えがあり、信仰の対象ともなっています。

Exhort 二重柿 Explanation

二重柿
満願寺(宇和島市津島町)

弘法大師が行脚の折りに当地を訪れ、杖を置かれた場所に育ったとの言い伝えがあります。柿の実の内部に、また別の実ができると言う珍しいものです。子宝の霊験があると言われ、秋になると干し柿の申し込みが寄せられています。

Exhort 宇和海特殊海中資源群 Explanation

宇和海特殊海中資源群
宇和海特殊海中資源群

みごとなサンゴの間を色とりどりの熱帯魚が泳いでいます。日本で最初に海中公園の指定されました。

Exhort サギソウ自生地 Explanation

サギソウ自生地
宇和島市津島町御内

サギソウは、陽の当たる湿地に生えるラン科の多年草で、8月下旬から9月にかけて、白さぎが飛んでいる様な純白で清らかなかわいい花をつけます。

目次へ


Bird

written by -konomi-