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文禄4(1595)年、藤堂高虎が領主となり、本格的に築城工事を始め、6年をかけて完成しました。平山城の形式で、平面が5角形をし、2面が海に、3辺は城堀を隔てて、城下町に接していました。「空角の経始」といわれる五角形の外堀は道路に変わり、高虎が会心と呼んだ縄張りは現在では航空写真で確認できるばかりですが、大手口の長屋門(移築)から本丸へ続く、苔むした石段や石垣は当時のものと言われます。
慶長19年、伊達氏の入城後、明治維新まで伊達氏の居城となりました。
天守閣が現存する全国にある12城の1つで他、曲輪跡、城塁、石垣もほとんど完全に保存されています。式台付の独立式三層層塔型天守は、破風.長押等の装飾は上品かつ風格があります。小さく見られがちですが、天守台天端から鯱上端までの高さは、現存12天守中7番目で松山城天守よりも高い。天守内には障子が入り、武者走り以外に、狭間.石落などの防御設備はありません。
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