高畠華宵画伯
(たかばたけ,かしょう)
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京都市立美術工芸学校で学び、14歳のとき大阪の日本画家平井直水の平井塾門下生(内弟子)となりました。翌年、京都市立美術工芸学校日本画科に入学しましたが、家族に無断で中退し関西美術院に転校し、送金が途絶え、明治40(1907)年上京しました。
23歳のとき描いた出世作、津村順天堂の「中将湯(チュウジョウトウ)」の商標は有名です。大正2(1913)年「講談倶楽部」に挿絵の執筆を始め、後に、村田社から「華宵便箋」が発売され、少女たちに熱狂的支持を受けました。皇族の令嬢がお忍びで買いに来られたと言ううわさもあります。
愛媛県重信町の足立の庄(あだちのしょう)に、「高畠華宵大正ロマン館」があり、大正文化の本質と推移の探求をテーマに、華宵の作品4,300点を常時展示しています。
また、東京都文京区の弥生美術館にも多くの作品があります。
略年譜
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4月6日 |
愛媛県宇和島市に生まれる。本名幸吉。 |
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京都市立美術工芸学校日本画科に入学。 |
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関西美術院(浅井忠創立)に通う。12月上京。 |
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天籟画塾(寺崎広業画塾)に入塾。 |
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津村順天堂の中将湯の広告絵を描き、評判になる。 |
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「講談倶楽部」(講談社)執筆開始。その後、大正から昭和にかけて、数多くの挿絵を手がけ、華宵の挿絵黄金期を築く。主な雑誌は、「少年倶楽部」「日本少年」「少女画報」「婦女界」「主婦之友」など。 |
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このころから、村田社の「華宵便箋」が発売される。後に大阪五藤社、日出づる国社、ベニバラ社からも発行され、爆発的人気を呼ぶ。 |
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日本画に専念し始める。代表作「情炎」「日蓮上人」「秘密曲」「幻想」など。 |
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六曲一双屏風「移り行く姿」完成。 |
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「講談社の絵本」「世界名作シリーズ」などを手がける。(「小公女」「しあわせの王子」「快盗ルパン」など) |
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渡米。翌年、高畠画学校をロスアンゼルスに開校。 |
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兵庫県明石愛老園に入り、制作を続ける。 |
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7月31日 |
脳血栓脳軟化症のため東大病院にて逝去。同日をもって、挿絵画家として始めての叙勲。勲五等双光旭日章を受ける。 |
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〒791-0222
愛媛県温泉郡重信町下林「足立の庄」内
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休館日:無休 (ただし、展示替えのための臨時休館があります) | |
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[足立の庄:入園料\600]
入館料:\500(一般)\400(団体:20名以上/障碍者)\300(小学生) 駐車場:無料(バス50台、乗用車1000台) | |
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高畠華宵大正ロマン館 |
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〒113-0032
東京都文京区弥生2-4-3
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