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弘化2(1845)年から大砲を鋳造し、高野長英をかくまい、村田蔵六を招いて、蒸気軍艦を建造しました。また徳川斉昭や松平慶永と親密に交流し、一橋慶喜擁立派の一員として活動し、ペリー来航時は攘夷派でしたが、のち薩摩藩の島津久光と接近して、一貫して公武合体、長州藩と幕府との和解を推進しました。
王政復古後、維新政府の議定となり、明治2(1869)年9月には民部卿兼大蔵卿となって、鉄道敷設のためのイギリス借款に尽力しました。明治4(1871)年7月には全権として天津で日清修好条規に調印しました。のちに政界を退きました。明治25(1892)年没。75歳。維新後の活躍もめざましいものがあります。
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